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2011年11月 7日

●薔薇咲いてふわりIII(藤本理江さんのこと)

理江さんと最後に一緒にお芝居をしたのは、もう11年前になります。

会社員をやりながら芝居をしていた時代、
「JUMBOシアター」という劇団で主に活動していました。

きっかけは学生時代の劇団「シアターレベルフォー」で
舞台・照明スタッフを担当していた先輩の理江さんから、卒業後の1997年、
自分で劇団を立ち上げて脚本・演出もやろうと思っているのだけど出てくれない?
と声をかけてもらったことです。

舞台屋さんのイメージしかなかった理江さんが脚本・演出??
と、正直、疑心暗鬼で参加した稽古初日に、
ほぼ直しどころのない完璧な台本を渡されたときには、本当に驚きました。
(そしてそれは毎公演、続きました)

出演は一回だけのつもりだったのですが、
誘われるがままに会社に行きながら時間をやりくりしつつ公演を重ねているうちに、
1999年、当時小劇場の若手劇団の登竜門的存在であった、
「パルテノン多摩小劇場フェスティバル」に参加することが決まりました。
すでに人気のあった他の劇団と同じ舞台に立って、
ちょっとその気になりかけたりもしました。

しかし、その時期から理江さんは体調を崩しがちになっていて、
ひどい時は稽古場に来て演出するだけでグッタリしてしまうような状態でした。


その後、僕は野田秀樹さんの舞台に出ることが決まって、
会社を辞めることにしました。

理江さんは、今後も一緒にJUMBOシアターで活動していかないかと誘ってくれました。
でも、先々への不安の中で劇団を背負っていくだけの余裕もない上に、
体調がなかなか回復せずボロボロになりながらも芝居を続けようとする理江さんを
これ以上見るのが辛かった僕は、その誘いを断りました。


理江さんはその後、舞台から離れて帰郷。
もともと大学で専攻していた絵を描き始め、
最近では個展も開いているらしいと、風の便りに聞きました。

長い年月の間でメールのやりとりを1、2度した程度、
そろそろ久しぶりに話してみたいな、と思いながらも
僕の怠慢ゆえになかなか実現しないまま、時間は過ぎていきました。

昨夏、本当にちょっとしたメールのやりとりを何年ぶりかにして、
次の個展こそは必ず行って近況を話そう、と思っていました。

理江さんの急逝の報せを聞いたのは、今年に入ってすぐのことでした。


学生時代からすでにプロの現場で仕事をされていた理江さんは、
仕事に関してはシビアで、僕もずいぶん怒られました。

その反面、とても人懐っこく、淋しがりで、
あんまり飲めないのに稽古や本番後の飲み会でみんなでワイワイやるのが好きで、
そして、作品をご覧いただければと思うのですが、
美しいもの、きれいなもの、かわいいものをこよなく愛する方でした。


体調が万全であれば、この先も絵画、舞台に限らず、
その他いろんな方面で才能を発揮され続けていたはずです。
改めて、心よりご冥福を申し上げます。


理江さんの遺作展が、10日から13日まで、表参道のギャラリー同潤会というところであります。

お時間のある方は、是非足をお運びくださいませ。

薔薇咲いてふわりIII −藤本理江遺作展−